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米軍等支援目的の集団的自衛権行使 英霊は喜ぶか

 怪しげな歴史認識の下、時期といい性格といい不意打ちの真珠湾攻撃にも似た2014年末の衆院選圧勝をバックに、かねて懸案だった諸政策を一挙に実現しようとしている安倍ちゃん政治にノーを言いたい。

 靖国に祀られているという英霊の方々の子細な出自は知るよしもありませんが、戦後生まれの私が目にした文献等によれば戦場に散った多くの英霊は、米軍との戦闘によってではなく飢餓によって命を失ったとされています。
 戦後70年を数える現在でも後遺症に悩まされている広島・長崎の原爆被爆者の方々はもとより、米軍による無差別爆撃によって何十万という市民の命が失われました。

 中学の教科書に載っていた写真によれば、ナチス末期のドイツ・ドレスデンでも、同じような無差別爆撃によって多数の市民が犠牲になりました。
 いわゆる、”右翼”や、”右寄り”と目されるグループに属したことのない私でも、当時の日本軍人や一部政治家の中にあったとされる”国を思う余りの開戦”論に、いまもって共感を覚えますが広島・長崎への「原爆投下」や大都市の市民を標的にした「無差別爆撃」を実行した米国には、心底からの共感はありません。
 

 職業軍人でかつ陸軍憲兵だった母の兄は、戦犯として中国で抑留された後帰国して千葉県・習志野、いまの第一空挺師団に隣接する土地で養鶏業を営んでいましたが、40娘になろうとする私の長女が生まれるのと入れ替わりに、持病の高血圧のせいか「くも膜出血」で、齢60歳で逝去しました。

 抑留、そして本土帰還後、千葉県・習志野いまの第一空挺師団がある船橋市ですが、この地で養鶏業を営むかたわらアパート経営などにも手を拡げていたのを知ったのは、新潟の山村に育った私が、首都圏の大学受験のために叔父の家に泊まることになったときでした。

 戦後生まれのわたしの戦争に対するイメージは、小学生になったばかりの頃に学校で見た戦争映画やスライドなどで植え付けられた知識程度でした。戦争に行ったと親から聞いていた叔父ですが、一人で布団に入り障子を隔てた向こう側で交わされる父と、かって「職業軍人」だった叔父の会話に戦争の話でもでてくるかと耳をそばだてたものですが、彼らの会話にはそのことが話題になることは決してありませんでした。

農家の長男で一人息子だった叔父ですが、農業を嫌って職業軍人となり抑留を終えて帰国してからというもの戦争については親兄弟にさえ一言も、そのことを話したことがないということは母から何度も聞かされていました。 一方では、憲兵だったため他人に話せないことをやってきたからだと、親戚の長老たちが陰で話しているという噂もよく耳にしました。

 
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