津波てんでんこという教訓は、
命てんでんこというそれとともに東北三陸海岸に伝わる津波への備えを表したものでした。
新潟の田舎でも
てんでんにという副詞があって、めいめいにとか各自とかの意味で使われていましたから、てんでんに避難するという言い伝えはよくわかります。
しかし、2011年3月11日宮城県石巻市立大川小学校を襲った悲劇で、この教訓が活かされることはありませんでした。
地震の報で駆けつけた親御さんに引き取られた児童以外は、校庭で待ったあげくの果てに安全なはずの裏山ではなく別の方向への避難を伝えられました。
その結果、児童・教職員84名もの命を失うことになり、ました。
教職員にいたっては出勤していなかった校長以外お1人を除いてすべての方が犠牲になりました。
大川小学校の悲劇については、いまでも検証作業が行われていますが少なくとも日本人すべてに突きつけられた課題だと思います。
津波てんでんこという祖先からの言い伝えが、活かされていればもっと多くの児童や先生方の命が助かる可能性がありました。
大川小学校の裏手には小高い山がありましたが、結果としてそこに避難することはなく多くの犠牲者が出ました。
3月といえばまだ雪が残っていたと思いますが、雪国の山村で暮らした経験からするとこの程度の山に避難することはこの土地に生まれ育ったヒトなら例え小学生といえども時間さえかければそう難しくはありません。
最近の調査結果によると、大川小学校では津波による災害を意識していた教職員は少なかったという結果があります。
自分が小学生だったころのことを思い出します。
当時の先生といえば、稀に地元出身の年配教師もいましたが、校長・教頭を除けばほとんどは県庁所在地など地方都市出身の新任教師で、任地で4年もすれば転勤と地域防災とは無縁の方々がほとんどでした。
大川小だけでなく、津波災害だけでなくこのような事例はたくさんありそうです。
2013-07-12 18:05
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