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会津戦争 峠の向こう側で起きた悲劇

 HNKの大河ドラマ八重の桜第26回を見ました。
 主人公の八重が鉄砲で抵抗するなか、西郷家の悲劇が起きます。次回では、中野竹子と神保雪が率いる女性だけの集団娘子隊(じょうしたい)の悲劇が描かれることでしょう。

 県境の山を隔てた会津若松が会津戦争のあった場所であることは、旅した親の知人から土産にもらった白虎刀という、チャンバラには耐えない白木の木刀を通じて小さい頃から何となく知っていました。

 産まれたのは福島県との境にある雪深い山村です。
 まだ幼い少年が散華した白虎隊の悲劇はおぼろげながら小学生の頃から知っていましたが、その後歴史を学ぶにつれて世紀の一大悲劇が峠の向こう側で起きていたことを次々に知らされ大きな衝撃を受けたものです。

 進学した高校は小千谷という長岡市の隣に位置する街にありましたが、そこには司馬遼太郎さんの小説峠の主人公長岡藩家老河井継之助が新政府軍監だった土佐の岩村精一郎と会談したという慈眼寺が現存することも知りました。

 越後長岡藩最後の河井継之助は地方の小藩ながら近代兵器を採用したことから、東北諸藩だけでなく会津藩にも大いに期待されましたがなにしろ小さな勢力に過ぎなく、近代装備の官軍に敵することなく敗走し河井は途中で息絶え、残りは生地の川や峠を抜けて会津に落ちたとされています。

 八重の兄覚馬が戦った京都御所や会津藩がバックアップした新撰組ゆかりの地を見聞するにつれ、峠の向こう側で起きた多くの悲劇に胸が痛みます。

 剣道の心得がある方はご存知と思いますが、足払いを得意とする薙刀といえど鉄砲に敵うはずもありません。 
 峠の向こう側で、かって起きた悲劇を忘れないよう、ときどき記憶を想起するタイマーを仕掛けたいと思います。




 
 
タグ:会津戦争
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