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戊辰戦争 越後の小出島や小千谷も戦場でした

 NHK大河ドラマ八重の桜が始まってからというもの、戊辰戦争のことを少しづつ調べて見ました。

 それまでは、故郷から県境の山々や峠の向こう会津若松が戦場になったという程度の知識しかなかった戊辰戦争ですが、その発端がこのところ毎年旅している京都伏見京都御所とも深く関わりがあるばかりか、出生地新潟県魚沼市や三年間通った高校のある小千谷市もかっては戦場だったことを知って驚きました。

 日本史に興味がなかったわけではありませんが、高校での授業は江戸時代止まりで終わりになり受験科目でなかったこともあって近代日本史に疎いことは自覚していましたが、江戸幕府終焉の歴史にまつわる出来事がこれほど身近にあったことを知りませんでした。

 旧制小千谷中学を前身とする新潟県立小千谷高校は、小千谷市中心部とは信濃川を挟んで反対側の山の麓に位置します。
 校庭裏を流れる大河信濃川を少し遡上すると朝日山という山に辿りつきます。
 朝日山といっても越後平野を望む地に位置していますから、標高は知れたものです。
 そして、この朝日山も官軍と会津藩士との戦場になりました。

 信濃川の上流、魚野川の面した魚沼市小出島一帯も戦場になりました。
 小出島は会津藩の飛び地領で、小千谷とともにここにも会津藩の陣屋がありました。
 
 戦死した会津藩士を葬ることを官軍が禁じたため、これらの戦場には凄惨な光景が残されました。彼らが葬られるのはずっと後のことです。 

 生地新潟を離れて40年余、時間に余裕がある年齢になった今、たまたま武蔵野市の図書館から借りた中村彰彦さんの会津のこころ 優しく烈しく美しくで、この場所で官軍を名乗る薩長軍と賊軍とされた会津藩士とが戦ったことを知り、故郷の歴史について自らの無知ぶりにあらためてがく然としました。

 家老河井継之助を擁する長岡藩のことは司馬遼太郎著峠で読んで知っていましたが、馴染み深い生まれ故郷や今となっては懐かしい蒸気機関車が牽引する汽車で通った先にも戊辰戦争の足跡があったことはまったく知りませんでした。

 越後小出島や小千谷には会津藩の陣屋が設けられていて、若松城を巡る戦いに先立ちこの地が戦場になったのでした。

 育った新潟で剣道というスポーツはメジャーではありませんでしたが、会津藩が冷遇されたことと関わりがあるのでしょうか?
 理不尽の感を禁じ得ません。 
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